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プラスチック加工研究会設立の沿革と歴史

1974年 「エラストマーARを育てる会」発足

1977年 ・スチレン系熱可塑性エラストマー材料拡販戦略などの勉強会開始

      ・中国プラスチック展に視察団派遣(以後毎年派遣)

      ・インドプラスチック展に視察団派遣

      ・ロシアプラスチック展に視察団派遣

1985年 ・導電性プラスチックを活用した二層成型加工法(Double Layere)を広めるため「DL会」へ発展

      ・名古屋支部開設

      ・大阪支部開設

      ・ベトナムのプラスチック人材養成のため、ホーチミンにて特別講座開設

      ・アジア技術協力ネットワーク(ATCN)設立

1991年 ・「プラスチック加工研究会」へ名称変更

      ・東京支部がJITASを事業継承

2018年 ・名古屋プラスチック展において基調講演とパネルディスカッションに参加

プラスチック加工研究会の歴史の最初は1972頃東亜合成のプラスチック子会社であった東亜樹脂が世界で最初に開発した射出成型可能なPVC軟質コンパウンドが東南アジアで好評でそれまで天然ゴム化、プレス発砲で成型していたEVAサンダルに代わりロータリーインジェクション[注型成型]で成型発砲サンダル原料を輸出するため三井物産と白石カルシウムの2社でインドネシヤ、台湾、シンガポール、フィリッピン、イラン,などに積極的に販売活動、成型加工指導を実施していた。
その活動の期間中にシンガポールの実力社長から生ゴム外観で弾力性のある革靴ソールサンプルを入手した。
帰国後各種分析トライを実施してそれがイギリスのダッチシェルが新しく開発した熱可塑性SBSポリマーであることが判明し、当時の東亞樹脂が東南アジアでの実績が評価され、ロンドンでの交渉の結果、日本で1社のソールコンパウンド製造権を確保した。
その後3年後アメリカシェルケミカルで耐熱性、耐光性の優れたSEBS,SISの工業化に成功した。

ここでは三菱、住友と一緒に3社にライセンスが確保できた。
このようにして日本では全く新しい材料の市場開発に、全国的PR活動、セミナ、業界紙PRに、三井物産、白石カルシウム、野村貿易、日本シェル化学、金型の共和工業などの担当者が集まり、個人的に海外の事情勉強会、日本での拡販戦略などの勉強会が開始されたのがプラ研のスタートでARを育てる会として発足し、その後機能性コンパウンドとしてアメリカのシンクタンクと共同で1984年から米国政府がコンピューターのノイズ対策としてEMI規制が設定実施されるようになり、これまで金属板で作成されてたパソコンハウジングに代わる導電性プラスチックの開発が世界競争が始まり、そこで世界的戦略研究機関であるバッテル研究所と導電性プラスチックの共同開発契約を結びアルミ箔。混成プラスチックコンパウンドを開発した。その後ステンレス超細繊維コンパウンドに改質された。
1984年オーランドで開催されたIAAA国際会議で,GE,モーベイ、バッテル研究所と一緒にパネル会議のパネラーに選ばれ2時間講演を実施した。
国内では共和工業の岩渕氏が中心になり、三井物産、三井東圧、JSR,JSW、ヤマハ、2層成型加工のDL会を経過して広くメンバーも参加できるプラスチック加工研究会と名称変更した。
そのような過程で成長してきたプラスチック過去研究会の最初をAR会からとすれば45年、プラ研に名称変更してからとすれば40年になる、1999年長谷川が名古屋にて長谷川国際技術士事務所を開設した際、これまで東京での会議に参加していた、名古屋の名機製作所、大阪の白石カルシウムが中心となって新しく大阪支部、名古屋本部が形成され全国会にまで成長してきた現在150人以上の登録会員が集まっている。

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